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6. 龍谷大学の誇れる史実-③

③大宮本館の文化的価値について

大宮本館は、2014年3月で国の重要文化財指定を受けて既に50年が経過します。
1993年~1998年までの間、京都府文化教育委員会の監修の下に5年を掛けて解体修理が行われ、その時の技師達が語った様子は、以下の通りです。

○ この工事に携わった建設会社以外の指導者の方々は、中尾正治氏(当時:京都府文化財保護課主査)、京都府技師浅井健一氏、同技師小宮 睦氏、京都府指定宮大工山口保広氏などが携わり、この解体修理時に語られたお話を箇条書きにすると

ⅰ)明治初期の教育施設で「群」としてそのまま残っているのは、全国的に見ても龍谷大学・同志社大学・慶應義塾大学(建築順)の3大学のみである。(以後は「重要文化財建築群」と名乗られる事を進言される)

ⅱ)近代建築の黎明期の貴重な擬洋風建造物である。(西洋文化と日本の建築技術を結集した建物である。寸法に尺寸やインチを併用している)

ⅲ)現存する唯一の石貼り構造である。(最近流行のタイル張り等の先駆け)

ⅳ)当時としての巨大構造物(本格的な2階建で当時は京都駅から大きく見えたと言われている。高さ18.6m、建築面積520㎡、床面積は2倍の1,000㎡以上ある)

ⅴ)明治初期の最新工法を用いたインテリジェントビルである。 (日本近代建築史上希な「キングポスト工法」や「クイーンポスト工法」という外来工法を駆使している)

と言った事があげられるが、この解体復元修理中に判明した重要な点は、建築最中に「
明治天皇」の行幸が決まり、半分以上が出来上がっていたものをその迎賓用に大幅に修正・変更した事が判明したことです。(明治天皇行幸記は、前述①の通り)

それは当初2階の約4分の1を使って講堂を作る予定で、他は各教室としていたが、明治天皇の行幸が決まってから講堂を2倍以上の面積に広げ(現在の状態)かつ貴賓室を設けた事が解ったことです。(そのために工期が大幅に遅れた事と修正後の設計図が残っていない理由の裏付けとなりました)

その行幸の決定から1877年(明治10年)初めに着工し、一年後には竣工の予定であったものが、さらにもう1年以上遅れ1879年(明治12年)の完成となったのです。(これは、当時の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐の中で本願寺は、新しい教育を取り入れる龍谷大学の意気込みを天皇に直接見せたかったのではないかと思われます
   
  ①本館(重文) ②北黌(重文) ③3南黌(重文) ④旧守衛所(重文) ⑤正門(重文)
⑥西黌 ⑦西黌別館 ⑧守衛所 ⑨清和館 ⑩東黌 ⑪図書館 ⑫清風館 ⑬白亜館

また、この大宮本館の工費総額は「四万四千七百十八円五十銭九厘六毛」と記録にあります。(明治の初め、小判一枚が金貨一圓に替わり、現在の貨幣価値に換算すると約45億円と思われる)

大宮本館建設は、今まで設計施工業者が不明とされていましたが、解体工事で解った事は「岡野傳三郎(おかのでんざぶろう)」「鵜飼源三郎(うかいげんざぶろう)」「井上新兵衛(いのうえしんべえ)」ら9名の宮大工達の名前が見つかり、その一人である京都の宮大工棟梁家の名門「
三上家」も建設に関わっている事が解りました。このことは京都に出来た「京都府下大工組合會社(1880年7月設立)」の幹部達であり、近代のジョイントベンチャーJVの始まりと思われる。(以後この組合が1893年の平安神宮や1903年の京都府庁、1909年の東本願寺新築等にも協力する事となる)

三上家の四代目「三上吉兵衛(みかみきちべえ)」が38歳~40歳の時にこの工事に関わった事が三上家の記録『事蹟-社寺建築類』や『京・近江・丹後大工の仕事~近世から近代へ~建部恭宣(たてべやすのぶ)・著(思文閣出版)』に伺えます。
これによれば、三上家は1876年(明治9年)に「七条停車場(初代京都駅)」や明治11年の「七条塩小路警察署」のようにこれまで国内になかった様な新種の建物を早い時期から着手した記録があり、同時に1879年(明治12年)2月「西本願寺文學寮建築」とあります。これが大宮本館です。
岡野傳三郎は、その後1885年(明治18年)~1890年(明治23年)にかけて「京都琵琶湖疎水」の大工事に携わり、主に土木工事を得意とし、三上吉兵衛は、近代建築を得意とする宮大工棟梁であったといえます。四代目吉兵衛の記録には、本館建築の5年後、1884年(明治17年)に同志社最古の建物「彰しょう栄館えいかん」や7年後の1886年(明治19年)に「同、礼拝堂」建設を行ったと記録されています。

このように宮大工を初めとする当時の建築界の名門が近代建築の「魁」である“大宮本館”の工事に携わった事で それ以後の重要建築物を手掛けて行くのです。

   
 


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