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以下記事は増田省三氏より寄稿いただきました内容をweb掲載にあたり若干の編集をしております。
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2012年6月23日及び2013年5月25日の二回に亘って、校友会神奈川県支部総会開催時に「龍谷大学の誇りT」及び「同、U」をお話させて頂く機会があり、圧倒的な歴史を誇る龍谷大学にまつわるエピソ−ドの一端を述べさせて頂く機会を得ました。
以下にその内容を講演録に添って項目毎にまとめました。

はじめに タイムリーなことでもあるので
「アウンサン・スー・チーさん」が龍谷大学に来られたお話を先に述べさせて頂きます。


スー・チーさんは、2013年4月15日(月)快晴の中、午後1時に龍谷大学深草キャンパスに到着されました。 その日の午前中は、京都大学において、主にミャンマーからの留学生達に講演をされました。

スー・チーさん来日にあたっては、東京や京都など日本中のおもだった大学の殆どが講演依頼に手を挙げていました。 早くから京都入りが言われていた関係で、特に京都の大学は、殆どがそろって手を挙げていました。

全国的には、大学だけでなく企業や団体までが外務省や大使館を通じて申し入れを行っていました。その中には「経団連」もあります。

それは、ミャンマーが日本にとって中国の次の次に資源の豊富さや経済的発展の有望株であると言う判断からだと思われます。

しかし、スー・チーさんは、14年間も軍事政権によって軟禁状態にあるとき、他の先進諸国は、軍政に対して経済制裁や民主化への世論で応援をしましたが、日本政府は殆ど何もしなかった。そのために解放後は、アジア各国歴訪の中で、日本が最後の訪問国になったのです。 日本政府は、外務省や大使館を通じて申し入れは早くから行っていましたが、結果はそういうことであったのも事実です。

スー・チーさんは昨年(2013年)4月に6日間日本に滞在され、先ほども述べた通り500〜600の諸団体(日経新聞による)から講演依頼がありましたが、6日間の滞在中に講演されたのは3箇所でしかも大学だけでした。

すなわち4月15日午前中「京都大学」、同日午後「龍谷大学」、翌4月16日「東京大学」の3箇所のみで「経団連」を含む政財界関係は、全て断られたのです。

その中での本学訪問は、赤松学長以下の努力のおかげですが、本学の元教授である大津先生ご夫妻の家族的お付き合いの賜であるといえます。

当日700席満堂の会場に入りきれなかった2,000名を超える学生達が歓迎のため「顕真館」を取り囲んでいたため、講演時間を少し短縮されて講演後、学生達との交流の時間を取られました


龍谷大学は、今年(2014年)5月で創立375年になりますが、近い将来『龍谷大学400年史』を編纂する時には、このスー・チーさん来学と講演の記録は、卒業生として一過性に終わらせず後世に語り継いで貰いたいと思います。

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