4. 龍谷大学の図書館について-③
③ 大宮キャンパスと図書館に纏わるエピソード
そのⅠ)
産経新聞(現サンケイ新聞)の記者で歴史好きの「福田定一(ふくだていいち)」記者(当時30歳前後)は、本願寺内にある宗教記者クラブに詰めていましたが、ある時紹介を受けて龍谷大学大宮図書館に来ます。
それ以後、毎日のように弁当持参で通い詰めて来ました。2~3年は通い詰めていましたが、ある日を境にぷっつりと来なくなり、親しくなっていた図書館員達も心配していたところ突然、歴史作家「司馬遼太郎」として文壇にデビューし、37歳の時『梟(ふくろう)の城』で直木賞受賞作家となります。
後日談として、ご本人が語ったところによれば「作家になれたきっかけは、この図書館だったかもしれない」ともらしています。
|
 |
|
故 司馬遼太郎 氏 |
そのⅡ)
もう一人、作家の五木寛之氏も1981年から3年間、大宮キャンパスに通い千葉乘隆教授の「仏教史」の講義を受けられました。
流行作家として既に著名であった氏は、思うところあって休筆し、ご夫妻ともども京都市左京区の聖護院近くに移り住まわれると言う本格的なものでした。
その後、作家として復帰後は、寺院や仏教や「こころの問題」に関する多くの著述を出されている事は既にご存じの通りです。
五木氏が仏教を学ぶ為にこの大宮キャンパスを選んだ理由は、日本ペンクラブ会員同士で僧侶でもあった太田信隆氏(奈良在住・元校友会長)の薦めが大きいと思われます。
また、五木氏自身に直接聞いたお話しでは、「推薦を受けて大宮キャンパスを見に行った時、そのキャンパスの佇まいがとても気に入った事。 もう一つは、学生が丁度バイクに乗ってやって来て、正門の横に止め、門から入る時、本館に向かってヘルメットを脱いでペコリと一礼して入って来たのを何度か見かけた時、この学校にしようと決断した」と仰っていました。
|
 |
|
五木寛之 氏 |
|